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ビタミンB1発見の歴史、抗脚気因子として発見




脚気について

ビタミンB1の発見の歴史は結核と並び当事日本の二大国民病といわれていた脚気の克服とともに歩んできたといっても過言では有りません。脚気は「多発性神経炎」のことで、ビタミンB1の欠乏により起こる症状です。脚気は全身の倦怠感や知覚過敏、心悸(しんき)亢進、手足の痺れ、歩行障害などを伴い、悪化すると心臓肥大、呼吸困難などの循環不全に陥り、ショック状態でしにいたる非常に恐れられていた病気の一つです。



国内での脚気の広がり

そもそも日本人の主食である玄米にはビタミンB1は十分に含まれているので、ビタミンB1欠乏症になることはまれなのですが、元禄時代(1688〜1704)から江戸や京都などの都会で白米を食べる習慣が広がっていったことで、一気に脚気患者が増加していきました。現在の数値ですが玄米めしであれば100gあたりで0.16mgのビタミンB1が含まれますが、これが白米飯になると0.02mgまで落ちます。白米食にうつっていったことでビタミンB1の摂取量が大きく落ち、結果当事の江戸で脚気の流行を招くことになったわけです。貧しい農村などでは粟や麦、ひえなどの雑穀が主食で、江戸に出てきて白米食に移行すると脚気になり、また国元に戻って雑穀主体の食事に戻ると脚気も治ったことから、江戸の風土病のように当時は思われていました。このため脚気は「江戸わずらい」などとも呼ばれていました。

江戸でも一般庶民は白米食を食べるほど余裕はなかったため、むしろそれが幸いしてかそれほど脚気は広がりませんでしたが、武士や公家などの上流階級で特に発症率が高かったようです。また運動量が非常に激しい飛脚などの職業に従事する人間にも脚気は多かったようです。また日本以外でも18世紀〜19世紀にかけてアジアの各地で白米を食べるようになったため脚気が広がっていきました。



脚気の食事起因説

明治時代には白米食が江戸以外にも広く浸透したことで、脚気が全国的に広がり、その被害は毎年1万人の死者をだすほどでした。特に日本海軍での被害が甚大で、272日の航海で376名中169人が脚気になり、そのうち25人が死亡したという記録も有ります。また日清戦争(1894〜1895年)では陸軍兵士23万人中4万人が脚気にかかり、約4000人が亡くなっています。戦死者が453人と記録されているのでいかに脚気の被害が大きいかがわかります。当事軍人には優先して精白米が割り当てられており、これが返って脚気の蔓延に拍車を掛けてしまったわけです。薩摩藩出身で当事海軍軍医であった高木兼寛は船員の食事を野菜や白米中心の日本食主体から麦飯や動物性食品中心の洋食主体に変えること指示し、287日の航海で脚気の患者を333名中14名までに減らすことに成功しました。おそらく当事の日本食よりも洋食にはビタミンB1が多く含まれていたのでしょう。この食事起因説を証明した疫学研究の成果は当事では画期的なことで、現在でも欧米の栄養学の教科書でしばしば引用されるほど有名です。

しかしながら当事は食事に起因するというこうした結果に異を唱える学者もいました。有名なのところでいうと小説家であり陸軍軍医でもあった森林太郎(鴎外)です。森林太郎は脚気の感染症説をとなえていましたが、後に米ぬかから抗脚気物質が発見されるに至り、栄養欠乏説が確定することになります。



抗脚気因子の発見

1897年にジャカルタで脚気について研究していたオランダ人のエイクマンはニワトリを白米で飼育すると脚気になることを見出し、さらに米ぬかを与えると脚気が治癒することを発見しました。1906年にはエイクマンはフレインスとともに米ぬかにニワトリ白米病(白米で飼われた鶏などに発症した多発性神経炎)を予防する因子が含まれていることを推定しました。1910年には東京帝国大学(現東京大学)の教授である鈴木梅太郎が米ぬかに含まれる抗脚気因子の結晶を取り出すことに成功し、その物質を「アベリ酸」と名づけて1911年に東京化学会で発表しました。1912年にはオリザニンと改名してドイツの生化学誌に発表しました。このオリザニンこそ後にビタミンB1と命名される物質と同じものなのですが、1911年に東京化学会に発表された論文がドイツ語に翻訳された際に「これは新しい栄養素である」という一文が訳出されなかったため、世界的に注目されることは有りませんでした。ちなみにオリザニンとは米(コメ)の学名がoryza sativa(oriza=米、sativa=栽培されている)だったので、米由来の結晶ということでこう名づけられました。

1912年にはポーランドのフンクも鳥類の白米病に有効な成分を米ぬかから取り出すことに成功しました。フンクはこの物質が窒素を含むことから生命に必要な一種のアミンであると考え、生命の「vital」、アミン「amine」をあわせて「vitamine」と命名しました。この物質はオリザニンと同じものなので、じっさいに抗脚気因子を最初に発見したのは鈴木梅太郎なのですが、オリザニンの名が後世で広まることは有りませんでした。

鈴木梅太郎やフンクが取り出した抗脚気物質はどれもニコチン酸などを含んだ不純化合物だったのですが、1926年にオランダのヤンセンらは純粋なビタミンB1の単離に成功しました。1927年英国医学会においてこの抗脚気因子を「ビタミンB1」と命名し、その化学構造も決定されました。



ひざ下を叩くのも脚気の検査の一つ

ひざの下を金槌で軽くたたくと、正常なら反射でひざが上に上がります。これは戦前や終戦後しばらくのあいだ、医者が脚気かどうかを簡単に見分ける方法としてもちいていたもので、現在ではまったく使われていません。こうした検査法が最近まで用いられていたのは、それだけ脚気患者が多かったことの例証であるといえるでしょう。






参考文献
わかりやすいからだとビタミンの知識
基礎栄養学
基礎栄養学 (スタンダード栄養・食物シリーズ)第3版
よくわかる栄養学の基本としくみ
基礎栄養学 健康・栄養科学シリーズ
エキスパートのためのビタミン・サプリメント
「ビタミン伝説」の真実
ビタミン・ミネラルの本






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公開日 2015/09/26








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